代表遺物

1.東州塩田 塩運搬用の軌道車

不詳 / 金属 / 300x140x230

  • 京畿道登録文化財第10号
  • 米国プリマス(Plymouth Locomotive Works)が製作し、大韓塩業株式会社が輸入した軌道車です。1960年代から1980年代に始興市の蘇莱塩田と南洞塩田で水仁線でつながった塩業線を通じて主要駅に塩を運び、両塩田が廃業した後は安山市大阜島の東州塩田で使用されました。1960年代から1980年代、京畿道西海岸一帯の製塩産業を示す重要資料として価値を認められ、2021年に京畿道登録文化財に指定されました。

2.木製打綿機

1961 / 木製/金属 / 103.7×165×135

  • 京畿道登録文化祭第11号
  • 打綿機は綿を打綿する機械で、 打綿機とも呼ばれました。 打綿とは、 綿弓などで綿に物理的な力を加え、綿の中の不純物や汚染物質を除去する過程を意味します。 この機械は1961年、ソウル昌信洞の信字蝶印(シンザナビピョウ)の打綿製造所で生産したもので、木綿綿だけでなく合成綿も打綿できるように改良されました。

3.起亜 軽三輪トラックT600

1969 / 金属/ガラス / 312×128×144

  • 京畿道登録文化財第5号
  • 1969年、起亜産業(現起亜)が日本の東洋工業と技術提携を通じて製作した軽量型三輪車。 比較的に価格が安く、回転半径が3.6mと比較的に小さく、複雑で狭い路地でも簡単に運行できました。 そのため、個人用の達業者、小規模の運送業者、配達業者に人気を集めて、運輸業の嚆矢を設けた車です。

4.新進パブリカ

1967 / 金属/ガラス / 362×142×138

  • 1967年新進自動車が日本のトヨタ自動車と技術提携を通じて製作した最初の国産軽乗用車であり、最初の燃料節約型乗用車です。 '子供車'、'目玉車'と呼ばれ、大衆の自家用車として利用され、タクシーや教習車 、文書運搬専用車など営業用にも人気を集めました。

5.セハンバスBF101

1980年 / 246×1010×310

  • BF101は1977年から1991年に廃止されるまで計37,000台が生産され、2000年代初頭まで最も売れたバスでした。 このモデルは、頑丈な耐久性と優れたエンジン動力や燃費などの強みでバス業界の好評を得て人気を集めました。 1980年代以来、安山市の館内バス会社もこのモデルを市内、市外、直行バスで多数運用していました。展示された車両は新韓自動車が生産した1981年式のBF101バスです。 1990年代にミャンマーに輸出されたバスを2018年に逆輸入し、1980年代に半月工団と安山、安養を行き来した33番路線の市内バスに復元しました。

6.商標辞書

1963 / 書誌 / 19.5×28

  • 1963年に産業経済新聞社が発行した商標事典は、856ページに及ぶ商標資料を集めた本です。 1960年代初頭の出版環境を垣間見ることができ、商標デザインの歴史を知ることができます。 所蔵したところが多くない産業史でも珍しくて重要な資料です。

7.半月新工業都市の都市設計図書

1978 / 書誌 / 55×45

  • 半月新工業都市の設計者であるチョン・ムヨンが寄贈した図書で、建設省と産業基地開発工事で発刊した半月工団及び安山市設計計画図書です。

8.ピストン一括

不詳 / 金属 / 最大:12.7×12.7

  • 安山で生産された自動車部品であるピストン一括であります。 ピストン(Piston)とは円筒形シリンダ内を往復する燃焼行程で高温・高圧のガス圧を受け、コネクティングロッドを通じてクランクシャフトの回転力を発生させる役割をします。 ピストンは舶用発電機、掘削機をはじめ、バス、自家用車など多様な車種に適用される核心部品です。
  • メーカー:東洋ピストン㈱、安山

9.サンボコンピュータ(トライジェム20)

1982 / 合成樹脂 / 39.9×45.6×39

  • 1982年にサンボコンピュータ(現TGサンボ)で発売した8ビットパソコンです。 国内製造コンピュータとしては初の海外に公式輸出され、「大韓民国輸出1号PC」と命名されました。 サムボコンピュータは1983年半月・始華国家産業団地に工場を移転し、1990年には年間コンピュータ生産量100万台を突破するほど20世紀韓国の先端産業を牽引した企業に成長しました。

10.ワインディングマシーン

1993 / 金属 / 164×61×157

  • ワインディングマシンは、繊を作るために加工された糸をコーン状の糸枠に分けて整理する機械です。 繊維、染色、紡織産業で必須の機械で、ワインダー(Winder)、ブンクォンキ、ブンコンキなどとも呼ばれます。 この機械は1993年、大邱の毎日機械で生産したもので、始華国家産業団地に工場をもった第一産業で使用されました。